ニシムクサムライの本番初日まであと4日ほど前に迫った稽古終わりであります。
今回、歴代のマッチポンパーがたくさん稽古場に来てくださり、あの頃の話や久々の再開などの嬉しいことや、初めましての方にはどこか作っていく作業を人に見られる妙な時間みたいな感じになっていると思われます。
立ち上げてまだ2年も経っていないユニットではありますが、こんなにたくさんの方に注目していただけていることは、私としては光栄の至りでありまして。つまり楽しんで参加していただけていた証拠にもなり、仲間がまた参加することで共有する良さみたいなものがあるのかもしれません。
今回の出演者の皆さんも楽しみながらこの作品に取り組んでくださっているようで、本当にこちらとしては嬉しい限りです。
稽古ではもちろん辛かったりしんどかったりキツかったりやばかったりもどかしかったりいろいろ思うところもあると思います。このよくわからない僕が作るよくわからないものを一緒に作っていくという作業は、どこかネジを緩めるというか足りなくさせるしか存在するのが難しいものなのかもしれません。
親切な作品もキャラクターも作れないひねくれた私のようなものを認めてくださり、集まってくださった関係者の皆様にはいつも感謝の気持ちでいっぱいなのです本当に。もちろんそれは観てくださった、観にきてくださるお客様ありきの話ですが。
いつも必死になって作品を作っていますが、自分の作品に関して言えばやはり今回も自分ではわからないものではあるのです。それは最近良く思うのですが。
何のためにやっているのかも、誰のためかも、何を伝えたいのかも、ここまで来るとわからなくなるのでした。
観にきてくださったお客様が何を思うかも、出演者がどう思うかも、僕自身どうなるかもわかりません。熱出してれば何か伝わるのかと言われてそうですとも答えられないし、じゃあこの作品は何のものだと聞かれてもわかりかねますと答えます。
自分が何をやりたいのかも、人に何をやらせたいのかも、続けていってはじめてわかるのかもしれないし、わからずに消えて行くのかもしれない。
舞台上に存在する人間をどこか神格化して説得力を持たせることもすれば直後に地に落とすこともやるあまのじゃくな演出。
しかし恐らく昔から思っている1つの答えといえば、そこに人がいてなにかをする威力。人間力。それがやはり舞台の強さであり、そしてまた諸刃の剣でもあるのだと思います。
せっかくお客様が劇場に足を運んでくださり、時間もお金も使い、目の前の人間を観にきてくださるのなら、やはり目の前の人間の生きる力を伝えたいという考え方は、私のようなものでもできるようになりました。時間かかりましたけど。
尊敬する演劇の先輩方にまだ胸張ってやってますとはなかなか言えないビビりなのですが、自分の思い描くエンターテイメントを集約させて発散するいつもどおりのマッチポンプと、絡めとられて翻弄されていくバージンキラー精神で持って、これからも地味に邁進してみたいななんて考えちゃったりしてね。
とにもかくにもニシムクサムライ。
そして㈲マッチポンプ調査室を今後ともよろしくお願い申し上げます。乱長文誠に失礼をば。
白倉裕二
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